2011-03-25

3がつ25にち

 3月25日。ここ。東京の湾岸地域。現在晴れ。

大震災から2週間が経ちました。久しぶりの更新です。


自分の言葉を公にするということが、いかに責任あることか。正直このような時の更新に、自分の言葉に自信がなかった。インターネットというものは、仮名で自分の言葉を簡単に表現できる便利ツールである一方、その言葉に対する責任を持つ自覚が薄れてしまう気がした。でもこのまま現実から逃げていてはいけないと思い、書いてみる。言葉が下手だけど。今の気持ちを。

そんな中 今日本では、みんなを代表して計画停電やいろんなルールを決めている人がいる。それに対しての意見も飛び交っている。賛否両論があって当たり前。それが人間だし人間らしいと思う。今、日本という人間は精一杯もがいている。どうしたらこの事態を良くしていけるのか。

もしかしたらその役目がわたしだったかもしれないし、あなただったかもしれない。だからその言葉を信じて、今できることをしよう。まずは自分が恐怖から抜け出さなければね!



糸井重里サンが見える被災と見えない被災について言葉を書かれていました。少し抜粋させていただきます。

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 この震災のなかで、みんなが
 自分の「好き」を見失わず、  
 つまり自分らしさを忘れることなく‥‥。

 ある読者の方のメールにあった文です。 
  
 いまの厳しい状況を、人体に喩えるならば‥‥。
 大怪我をした人が、快方するための元気が必要なのに、
 もっと精神やら内臓やらまでも、やられているらしく、
 なかなか立ち上がりにくくなっているような感じです。
 目に見える被災のかたちと、見えない被災のかたち、
 両方を乗越えるのが、ぼくらの目的だと思います。
 そのとき、カギになるのが、冒頭にあった
 「好き」なんじゃないかと思ったのです。
 
 わたしは、ぼくは、おれは、なにが「好き」?
 誰にも文句は言わせない「好き」なんだから‥‥。
 その「好き」は、その人そのものの大事さと同じ。
 思い出しましょう、じぶんの「好き」を。

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絡まった気持ちがようやくほぐれてきた。
好きなものまで隠さなくていい。
いつまで経ってもじっとして何かを待ち構えていてはだめだ。
自覚を持って自分らしさを忘れてはいけないな、と。
嫌でも時間は過ぎてゆく。
さぁ、前へ進もう。

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